定例会報告

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3月定例会

日時:平成28年3月15日(火)19時より

場所:大阪凌霜クラブセミナールーム

講師:宮本又郎氏(大阪大学名誉教授、大阪企業家ミュージアム館長、大阪凌霜クラブ理事長)

演題:「五代友厚・広岡浅子の世界~朝ドラ・『あさが来た』に寄せて~」

今回は、現在大人気となっているNHKの連続テレビ小説「あさが来た」で時代考証を担当されている宮本又郎先生をお迎えし、ヒロイン「あさ」のモデルである広岡浅子と五代友厚についてお話をいただきました。

時代考証では、毎週送られる100ページ程の台本を、主としてご専門である経済史的観点から当時の社会・経済・政治状況と合致しているかチェックをされます。脚本家が福岡出身の方であるため、時には風俗・言葉についても意見を述べられるそうですが、あさの口癖である「びっくりぽん」だけは、「大阪弁にはないのだが」と言ったけれども、「ギャグ」として使われることになったそうです。また、このドラマでは、広岡浅子のメンター的な存在として五代友厚が登場しており、ドラマにとって非常に重要な設定になっています。この二人が当時出会った証拠は見つかっていないそうですが、ドラマのプロデューサーからは、この設定はストーリー展開上重要な要素となっているため、時代考証上やや問題があるかもしれないが、許容して欲しいと言われたそうです。ただ、広岡家と五代はビジネス上の関係があり、生活圏も近かったという事ですから、本当に二人が出会っていた可能性はありそうです。

広岡浅子は、京都の三井出水家の6代目高益の「別腹」として生まれましたが、高益本家の四女として迎えられ、16歳で大阪の両替商・加島屋に嫁ぎました。加島屋は米切手を担保にお金を貸したり、大名にお金を貸すことをメインのビジネスとする両替商でしたが、廃藩置県で大名がいなくなると大名貸が不良債権化するなど苦境に立たされました。ここで、おっとりとした性格の夫に代わり、浅子が実業家としての手腕を発揮し、炭鉱や銀行、後に中心事業となる生命保険へとビジネス領域を再構築したのでした。浅子は加島屋唯一の君主として人事権を掌握し、自然に相手の意思を支配するような性格もあってか、雇い人の使い方もうまく人事の達人だったそうです。また、広岡家の家憲で制定された利益分配のやり方では、毎年の利益のうち10%が浅子に分配されることになっており、浅子の没後もこの分配は変わらず社会貢献事業に使うように取り決められたことが紹介されました。このわエピソードからは、浅子の豪腕さとともに、社会へ還元する優しさを感じました。また、浅子の貢献として日本女子大の設立に協力したことも有名です。ドラマの中では日の出女子大学校として登場し、その入学式シーンのロケ地が兵庫県立大学の講堂で、古くは神戸大の姫路分校として教養課程を学ぶ場所だったことが紹介されました。年配の方々からは「懐かしい」という声があがっていました。

一方の五代友厚は、明治の大阪の指導者、開発者として右に出る者はいないと言われる程の人物で、ドラマではディーン・フジオカが演じ人気を博しています。講話の中では、氏が館長を務められている大阪企業家ミュージアムをディーン・フジオカが訪れ、五代関係の史料の説明をされたことも紹介されました。五代は薩摩藩の出身で、23歳から長崎に遊学した後、薩英戦争で捕虜となった際に英国には勝てないと感じ攘夷論から開国論へと思想を変え、イギリスへの留学生派遣を提唱。1865年には引率者として薩摩藩からの留学生とともにイギリスへ渡りました。そして、幕末・維新期の衰退していた大阪に新政府役人として赴任し、開港業務などを担当した後、横浜へ転勤となりますが、官を辞し実業家となります。世間では出世コースから外れたとも見られたようですが、五代は「富国なくして強兵なし」との考えを持ち、政治は東京だが経済を発展させるためにはポテンシャルがある大阪だと考え、大阪で実業家となる道を選んだのだそうです。また、五代はドラマの中でも「ビッグカンパニーをつくりましょう」と言っているとおり、従来のイエ・ビジネスから、多くの人々の資本と人的資源をマッチングさせる株式会社という新しいビジネスモデルを提唱しました。東の渋沢栄一が鉄道など新しい事業を重視したのに対し、西の五代は流通・商業といった大阪の伝統的な経済活動を基盤とした漸進的な近代化を進めることで大阪商人の心を掴みながらも、大阪経済に渇を入れたことが大きな功績であると話されました。その他、大阪株式取引所、大阪商法会議所、大阪商業講習所(現在の大阪市大)の設立など五代の貢献は大きく、大阪には今月設置された大阪市大を含めて“五台”の五代の銅像があるそうです。

最後に、二人の功績として広岡浅子は「企業再生」、五代友厚は「地域再生」であったとされ、それぞれ共通のポイントとして「事業を変える」「システムを変える」「人を変える」「永続への強い意志」をあげられました。そして、変動期に必要な力として「時代を見る眼」「行動力」「人を巻き込む力」とまとめられました。幕末・維新期に大阪を舞台に活躍した二人の実業家についてのお話をうかがい、現在にも通じるビジネスの面白みを感じるとともに、何かを成し遂げるために必要な力について気づきを得ることができました。  ドラマの時代考証の裏話を交えた、楽しくも学びの多い講話をいただきました宮本先生に、心より感謝申し上げます。


2月定例会

日時:平成28年2月16日(火)19時より

場所:大阪凌霜クラブホール

2月度は、当クラブに森口隆宏氏をお招きし、掲題に付いて講演頂いた。

巨大グローバル金融機関の現状と今後の課題を述べて頂いた。マスコミと違った視点からの分析で非常に参考になった。

今後の課題として、マスコミで語られているように金融機関のグローバル化は必然だとの見解と違い、「Too big to fail=大きすぎてつぶせない」から、「Big but never Fail=二度と公的資金を使うことのない体制作り」へ向け、自己資本比率18%、レバレッジ規制、リスクの高い業務の規制等々過大なグローバル化と利益追求姿勢が規制される方向へ進むと説く。マスコミのグローバル化万歳とは一線を画する説明は、金融機関の第一線で活躍してきた迫力を感じた。お忙しい中東京からお越し頂いた森口会長に心より感謝したい。

以下、その要点をピックアップしました。

巨大グローバル金融機関生成の流れは1980年代の金融自由化から始まる。戦前の大恐慌の時代に米国の金融機関は銀行証券業務の一体運営が批判され「グラス・スティーガル法」(1933年)で、銀行証券分離が方向付けされた。それから40年以上わたり、金融業の行動原理を規定してきた。

1980年前後の大インフレで銀行経営は行き詰り、打開策として、金融規制緩和要請がなされ、金融自由化が逐次すすめられた。1999-2000年には、事実上の同法の骨抜きがなされた。又、金融自由化の波に乗って、銀行業務のシステム化と規模の利益の拡大による利益の追求がすすんだ。ノースカロライナ州の1地銀、ネーションズバンクが、バンクオブアメリカを買収して、全米規模の巨大銀行が誕生した。まさに小が大を飲み込んだ。米国では14,000あった銀行が、8,000に統合された。日本でも、MUFJ(三菱・東京・三和・東海)、みずほ(日本興業、富士、第一勧銀)、三井住友(住友、三井、太陽、神戸)、りそな(大和、協和、埼玉)の4行に集約・統合が進んだ。この過程で、資産規模の巨大化、海外業務の展開が進み、中には海外業務が全体の収益の7割~8割にたっしたものもある。

金融自由化・過当競争・巨大化の落とし子が、サブプライム問題に端を発した2008年9月のリーマンブラザーズの破たんだ。特に、欧州の銀行は海外展開により収益拡大に走り、レバレッジ比率が高く、その反動として資産が劣化すると経営基盤が大きくき損した。 2008年は銀行間資金取引が機能不全に陥った。リーマンは資金繰りに窮し倒産、ベアスーンズ、ワシントンミュチャルはJPモルガンが吸収合併、メリルはMUFJが1兆円近い資本注入で救済。(MUFJが1兆円の小切手を発行し、人が厳重保管し、空輸し、FRBに割り引いてもらった。) 米国政府は、AIG他、公的支援に70兆円つぎ込んだが、3年で全額回収した。

その後の世界の巨大金融機関の立ち直りを比較すると、アメリカの巨大銀行は70兆円の政府による資本注入によりほぼ立ち直った。欧州の巨大金融機関は、資産規模が国のGDPをはるかに超え、或いは、国のGDPとほぼ同じところが多く、いまだ再建の途上にある。

欧州の巨大金融機関は、公的資金を一挙に投入する方法が取れず、逐次投入せざるを得ないため、時間をかけて解決するしか方法は残されていなかったのだ。いまだ傷か残るのはこのような理由が背景にある。

ところで、2008年のリーマン危機からの教訓は「大きくてつぶせない(Too big ,too fail)」でいいのかと問題だ。今後の巨大グローバル金融機関は、新しいモデルを追求せざるを得ず、今度こそは、つぶれない銀行経営を求められている。「Big but never fail」=2度とつぶせない、公的資金での救済はこれ以上ノーだという各国政府の強烈なメッセージが聞こえてくる。 依って、自己資本比率を18%に引き上げなければならない(1990年代初めの頃4%でも大騒ぎした時代があった)、レバレッジ比率を適正なる割合としなければならない、リスクの高い業務を規制する、銀行・証券業務の防護壁の強化等々である。

最後に、巨大グローバル金融めぐる最近のトピックスに付いてふれられた。

・ HSBCの本社問題⇒ロンドンは税金が高く、本拠地香港に帰るのではといううわさがあったが、数日前の新聞で、香港よりもロンドンという選択がなされた。

・ 投資銀行から、グーグル、アップル等に人材が流れている。急速に金融を業務の柱にしたいという思いがあり、金融規制の抜け穴となっている。

・ 欧州銀行トップの交替が盛んだ。ドイツ銀行は数年前トップがかわりグローバル化と過大利益追求が進んだ。以前のお堅いドイツ人堅気の典型的なドイツ銀行はなりふり構わず突っ走ったが、ここに来て、収益の悪化、倒産危機、株暴落を演じた。

・ シェール関連のジャンク債、ハイイールド債の問題がある。米国FRBの利上げで、景気が急に不透明になった。中国の成長率鈍化・資本逃避と、欧州の景気悪化と相まって、米金利上げの波乱要因となりそうだ。

文責 瀬野鋼太郎(S46年経営)


1月特別例会・新年交歓会

日時:平成28年1月19日(火)18時より

場所:大阪凌霜クラブホール

恒例の新年交歓会が、出席者51名にて、催されました。

来賓の方々は、大学から武田学長、佐伯学長補佐、学友会から田中会長、凌霜会から高﨑理事長、一木常務理事の5名にお越し頂きました。

湯山事務局長の開会宣言に始まり、宮本理事長より交歓会参加のお礼、当クラブの皆さんへのお礼などの挨拶がありました。 4月に就任した武田新学長から、神戸大学を、世界ランクトップ100位内、国内5位以内を目標としようと言う力強いことばがありました。我々も気を引き締めた次第。

高﨑凌霜会理事長の乾杯の音頭の中で、「神戸大学学歌」を知らない在校生がおり、愛校心を高めるためにも学歌をOBを含め、みんな唄えるようになろうとのことばがありました。

最高齢ご出席者の91歳のOBのお話には元気さと前向きな姿勢に感心させられました。レイバンズ・ファンクラブ会長からは昨年を上回る成績を目指すとの宣言を頂きました。「若手の会」の新々メンバー数名の方々の今年の抱負を述べてもらいました。もっと神戸大学を本当に好きになるためにはどうしたらいいかという声、いや、神戸大学が好きだという声、フランス留学の話、大手企業に4月から就職するという流ちょうな日本語を話す留学生の声等々。

神戸大学若手OBおおいに期待していいぞといううねりを感じました。 最後、田中運営委員長の一本締めでおひらきとなりました。

文責 瀬野鋼太郎(S46年経営)

出席者51名


12月特別例会・忘年会兼若手歓迎会

日時:平成27年12月16日

場所:当クラブホール

恒例の忘年会が、凌霜会大阪支部との共催で行われた。

平成年次卒業の若手、女性の出席が32名とグンと増え、全員で55名を数えた。湯山事務局長の開会宣言、宮本理事長挨拶、来賓の一木常務理事の祝辞に続き、西浦副理事長の乾杯の音頭で幕を開けた。懇談会食も若手がおおく、賑やかになった。

一段落後、OBも多数いる丸紅混声合唱団コールフェリーチェ10数名よるXmasソングを披露してもらう。厳粛な「清しこの夜」もあれば、指揮者扮する「赤鼻のトナカイ」もあり盛上る。

再び懇談の後、浅田六甲台就職情報センター長の司会で、来春、就職される4回生10名が紹介される。各自学生時代の思い出やら、これからの抱負を一言。

そして、最後のメインイベントは、ワイン、阪神タイガースグッズ、神戸牛のカタログも出してのビンゴゲーム。何故か若手には当たらず、年配OBにばかり景品が当たった気がするがどうだろうか。

最高潮に達して、学歌斉唱と、吉川副理事長の中締めの挨拶でお開きとなった。

文責 S46年経営卒 瀬野鋼太郎

出席者合計55名



11月特別例会・ワインパーティー

日時:平成27年11月19日(木) 18時

場所:当クラブホール

今年もボジョレーヌーボーの解禁日がやって来た。毎年11月の第3木曜日が解禁日だ。

「今年は去年よりよし」との前評判だ。去年も一昨年も前評判がよく、今年は更に去年を上回るとのこと。

サントリーのソムリエ・紅山太陽さんのお話では、今年のボジョレーヌーボーはまろやか、フルーティだとか。シェフのローストビーフカットと美味しい料理が味を添える。

途中、紅山太陽さんのスパークリングワインの栓抜きの仕方はポンと音をあげることもなく見事さに一堂「ホッー」と感嘆の声があがった。ワインもよし、料理もよし、酔いもまわり、最後はクイズ3本、勝抜きジャンケン1本で、計4本ボジョレーを4名の方に進呈。

最後は盛り上がり、即興の学歌も飛び出しおひらきとなった。

文責 瀬野鋼太郎(S46年経営)



11月定例会

日時:平成27年11月17日(火) 19時から

場所:当クラブホール

講師:田中計久氏(阪神電気鉄道 常務取締役)

演題:「“天下の嘉農”、映画『KANO』について」


講師は阪神電鉄の常務でもあり、甲子園歴史館の館長でもある。

2014年台湾で大ヒットし、2015年に日本でも公開され話題になった映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」をテーマに、戦前の嘉義農林の全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)の模様をお話頂いた。第17回全国中等学校優勝野球大会は、昭和6年8月21日に決勝戦を迎えた。東海代表の中京商業と、はるばる台湾から初出場の嘉義農林の対戦となった。結果は中京商業が4対0で嘉義農林を下して熱闘に幕を閉じた。

その嘉義農林の熱闘をたたえ、2014年台湾で映画「KANO」が2月に封切られると、空前の大ヒットとなった。馬志翔監督の手による。興行収入は日本円換算で10億になるが、台湾と日本の人口比でみると日本では50億円の興行収入に相当する。映画は昭和3年に始まる。精鋭松山商業出身の近藤平太郎は、嘉義農林の監督となり、武士道野球、徹底したスパルタ教育で選手を鍛えた。当時、嘉義農林には、台湾の原住民、漢人、日本人が混在していたが、近藤監督はそれぞれの民族が持つ足の速さ、守備力、打撃力といった長所を活かしたチームづくりを行った。そこには人種を超えた固い結束があった。そして2年間の指導を経て、昭和6年に、台北一中、台北商業などの強豪校がある中、嘉義農林が堂々の代表となり、夏の甲子園出場を果たし、とうとう決勝戦まで進んだ。結果は準優勝だった。映画は汗と涙の3時間を超える作品となった。

台湾は日本統治下時代の教育、インフラ整備が近代化に大きく貢献したこともあり 日本に対する親日の土壌が存在する。この映画もそういった土壌が背景にあるのは間違いなく、甲子園歴史館は日台友好の懸け橋となっている。映画の封切り後、台湾からの旅行客が甲子園歴史館を続々訪問する。2014年6月には、嘉義市長も来館され、当時のエースであった呉明捷投手の銅像が同館に寄贈された。

当時のチームは守備上手い日本人3、打撃の漢人2、俊足の高砂族4からなる混成チーム。投手の呉明捷は、その後早稲田大学に進み内野手として打撃に活躍した。 もう80年以上前の熱闘を描いた映画だが、台湾の人々の胸に刻まれ、甲子園歴史館には台湾からのお客様の流れが絶えない。  

文責 瀬野鋼太郎(S46年営)

出席者合計18名



10月定例会

 

日時:平成27年10月20日(火) 19時から

場所:当クラブホール

講師:三和正明氏(ポジティブジャパン主宰、神戸大学客員教授)

演題:「日本の復活は本当に可能か」

 

今回は、「日本の魅力と真価を学ぶ集い‘ポジティブジャパン’」の主宰者で、神戸大学客員教授も務めておられる三和正明氏をお迎えし、「日本の復活は本当に可能か」をテーマにお話をいただきました。

まず、名目GDPが過去最高の523兆円となった1997年以来いまだにそのレベルを更新できていない「失われた20年」の底流には、110年前から今日に至る歴史的潮流があり、そこに通底する重要なキーワードがある、との問題提起が行われ、日本海海戦に象徴される日露戦争での勝利や、戦後世界を驚愕させた高度成長といった成功体験で、国の実力を過信した結果としての「思考停止」、更には工業化社会から高度情報化社会へと世界が移行したにも関わらず、過去の栄光に固執し時代の変化を看過してしまった「思考停止」こそが、現在の「失われた20年」を招くこととなった、との説明がありました。その上でこの流れを要約して、わが国には、「失敗は成功のもと」ならぬ「成功は失敗のもと」という皮肉な歴史的教訓がある、と説かれてみんなを笑わせられました。

更に、農業社会において秀でた成果をあげてきた日本人の文化・思想は、工業化社会への価値観の変化にもマッチし、戦後の高度成長を可能にしたものの、高度情報化社会における「『いつでも』『どこでも』『だれにでも』世界マーケットへの参入が可能な時代」に向けた新しい価値観には対応できず、米国主導の世界標準思想・文化(文明)に二度目の敗戦を喫することとなり、日本のリーダーシップの弱体化につながったとお話されました。

そんな中、失われた20年を招いたキーワードである「思考停止」につながる悪癖は何としても撲滅しなければならない一方で、日本人が本来得意とする行動特性や、古くから重んじてきて今もなおその応用効果の高い価値観・思想といったDNAを今こそ再評価し、かつ、高度情報化社会の価値観に対応できないという思い込みや呪縛から脱却、覚醒することこそが、「日本の復活を可能にするキーファクター」になると力強くお話をいただき、とても勇気づけられました。

最後に、現在の日本を「進行性多機能不全」に陥っているとされ、少子高齢化の進展や、財政の赤字体質、教育行政の行き詰まり等々、国民を挙げて覚悟をもって取り組まなければならない課題についてもご提示され、お話を終えられました。

終始ユーモアを交えてお話をいただき、出席者からたびたび笑いを引き出される一方で、歴史を振り返りながら、日本が抱えている本質的な問題のご指摘と、日本人としての誇りや将来への希望を感じさせていただいたことで、とても元気の出るご講話となりました。 三和講師に、心より感謝申しあげます。

出席者合計40名



9月定例会

日時:平成27年9月16日(火) 午後7時~

場所:当クラブホール

講師  盛山正仁氏(衆議院議員 自民党)

演題 「安全保障法制について」

今回は自民党衆議院議員の盛山代議士をお迎えし、国民の関心が高い安全保障法制について、国会での審議の様子や、法案の意義・考え方についてお話をいただきました。

氏は、衆議院「法務委員会」の理事であるとともに、「政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会」のメンバーとしても、投票権年齢の18歳への引き下げ、また参院選において隣り合う選挙区を統合する「合区」を盛り込んだ改正公職選挙法を成立されました。更に、氏は平和特(「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」)のメンバーでもあり、本日のテーマであった安全保障関連法案について116時間にも及ぶ長い審議を行われたそうです。

この法案については、政府からその意義をうまく発信できていないとされた上で、戦争をするための法律であると捉えられ、それ以上の理解をしようとされずに建設的な議論がなされないのは悲しいことであり、国民の理解を進めるためにもマスコミには中立的な報道を求めたいとのご発言がありました。

また、違憲か合憲かの議論については、昭和22年に憲法が施行されてから、歴史の中で憲法はその解釈が変わってきた(変えざるを得なかった)こと、また法案の必要性については、日米間の関係の希薄化や、アメリカが世界の警察でなくなり、成長する中国や北朝鮮、韓国などアジアへの世界経済の中心の移行といった国際政治が変化する中で、いかに日本の領土・国民を守るかを考えるかが重要であることをお話いただきました。

国会での審議が佳境を迎えるタイミングで、普段の報道では見聞きできないようなお話を拝聴することができ、改めて日本の安全保障について考える貴重な機会をいただきました。 大変お忙しい中、東京からお越しいただいた盛山代議士に、心より感謝申しあげます。

(文責湯山佐世子・平成15年経営)


ビアパーティー2015・留学生を励ます会

ビアパーティ2015・留学生を励ます会

日時:2015年8月3日(月)午後6時30分~午後8時30分

場所:ガーデンシティクラブ大阪(ハービスOSAKA6階)

本年も恒例のビアパーティが一般社団法人大阪凌霜クラブ/神戸大学学友会大阪クラブ、一般社団法人凌霜会大阪支部の共催で盛大に開催されました。

場所は、関西在住の神戸大学卒業の方々にも知ってもらおうと、場所をかえ、人数も90名と、従来より20名多くの方々に集って頂き、ガーデンシティクラブ大阪で開催されました。

冒頭、小野運営委員長の開催の辞があり、引き続き西浦副理事長が挨拶が致しました。その後来賓の方々の紹介に続き、高﨑凌霜会理事長のご発声により全員で乾杯を致しました。

神戸大学への海外からの留学生は、85か国1150人にも及び、今回の出席は11か国20名の方々を招待しました。若手の会の司会でいろんな国の方々が個性豊かにお話頂き、従来以上に留学生との会話の輪が拡がりました。

最後は神戸大学学歌を全員で唄い、田中次期運営委員長の閉会の辞でお開きとなりました。

(昭和46年経営学部卒 瀬野鋼太郎)



7月定例会

日時:平成27年7月15日(水) 午後7時~
場所:当クラブホール

講師:稲村和美氏(現尼崎市長、1992神戸大学法学部入学)

演題:「私が市長になったわけ」&「市長のお仕事」

今月は現在二期目の尼崎市女性市長、稲村氏をお迎えして、政界入りした経緯に始まって、市長としての葛藤・課題・苦しみ等大変興味深いお話を、明るく爽やかに講演して頂きました。

全体を通じて、極めてアグレッシブかつ気さくなイメージで、市長としての上から目線ではなく、庶民感覚による発想・改革意識等に満ち溢れていて、本当に魅了させられたひと時でした。ご多忙の中、講演を快諾頂きました稲村氏に心より感謝申し上げます。以下、講演内容をメモ風に列挙いたします。

○実家が奈良のため、神戸大学生時代は二時間超かけて通学。

○阪神大震災を機に、大学が休校となったこともあって、ボランティア活動に従事した。被災者の自治の支援に関わり、「評論家はいらない」「今、その場で決める」大切さを実感させられた。この体験が後の政界入りの原点(公的支援のあり方、税金の使い方への疑問等)となった。尼崎市議と政策勉強会で出会い、市議会スタッフのアルバイトも。

○卒業後、証券会社に入社し、飛び込み訪問から始まる「営業の厳しさ」を体験できたことが後々の政治に活きている。

○退職後、前尼崎市長選挙を手伝い、県議会議員を二期務めた後、2010年に尼崎市長に初当選、2014年二期目当選、現在に至る。

○政治の世界は「何を言っているのかではなく、誰が言っているのか」が極めて重要で、合理性だけでは上手くいかない。

○市長の仕事のスタンスは、その出身母体によっても変わってくる。自分はどこの推薦もない「完全な無所属」なので、囚われないやり易さもあると同時に、完全なる支持母体もない難しさも感じている。適度の緊張感をもって仕事ができている。

「そんなこと言うなら、自分でやってみぃーな」と本音で叫びたい時もあるが、沢山のご意見の中から、「傾聴(敬重)に値する」提案を聞き逃さないことが重要で、軽々に「聞き流してしまわない」姿勢が大切。

○役人の「予算主義」⇔ 民間の「決算主義」の違い。「何をやったか」ではなく、「いかに予算を獲得するか」が重要な世界に戸惑うこと度々。世の中はPDCAが常識の中、ひたすらPPPP。改善すべく、決算時点での市長査定を実施中。「当初決めたやり方も、様々な荒波の中、目的地を見据えて舵を切り直す柔軟性が肝要」と常々言っている。

本当に楽しい講演、ありがとうございました。       

(文責、武田之通)

出席者合計44名



6月定例会

日時:平成27年6月17日(水) 午後7時~
場所:当クラブホール

講師:伊藤 芳晃弁護士(近畿合同法律事務所)

演題:「スポーツと法律」

 今回は伊藤弁護士をお迎えし、スポーツ関連の訴訟例を中心に、事例研究・解説を行って頂いた。

氏は平成3年神戸大学法学部入学、在籍中は体育会ラクロス部に所属し、現在も社会人チームでラクロスのプレーを続け、その経験から、スポーツ関連の法的問題、特に競技中の事故による紛争事例、スポーツ団体による不祥事処分に興味をもっているとのこと。今回はいくつかの実際の判例に基づいて、基本的な考え方を解説頂いた。

スポーツに参加する時点で、既に「ある程度の危険を受忍している」つまり「多少の怪我をするかもしれないという認識」があることが前提条件となっている。損害賠償請求に関して、この前提を下に判断が下されるとのこと。野球参加中のスライディングによる怪我の事例、野球観戦時でのファールボールによる失明の事例等、詳細に解説頂いた。ファールボール直撃による事故(例えば甲子園球場で阪神タイガース応援中、遭遇する可能性は極めて日常的)は、我々の日常でも十分起こりうることでもあり、興味深くお聞きした。

また、部員の不祥事による公式戦出場停止裁定の是非を巡る事例も、興味深く聞かせて頂いた。裁定の取り消し・無効を求めて裁判に持ち込んだ事例ではあるが、裁判そのものになりえない事例ということで、納得させられた・・・等々分かり易く解説頂き、貴重な講演となりました。

伊藤弁護士に心より感謝申し上げます。

(文責、武田之通)

出席者合計29名



5月定例会

日時:平成27年5月20日(水) 午後7時~
場所:当クラブホール

講師:川端 伸也氏(弁護士:大阪大学法科大学院教授)

演題:「検察官ってどんな人だろう。」

今回は川端氏をお迎えし、元検察官としてのキャリアから様々なエピソードの数々を披露して頂きました。川端氏は小野運営委員長の司法修習生時代の教官をされていたというご縁で今回講師を引き受けられたとのこと。

地検時代の現実の事例を元に、被疑者から「如何にして真実を聞きだすか」ことが大変であるかを生々しく語って頂きました。現在、取調べ時の強要をなくすべく、取調べの可視化(VTRに録画する等)についても論議されているが、趣旨には賛同できるものの現実の場面では大変難しいとのこと。被疑者が他人への配慮(自分が真実を語ることにより関係者に迷惑をかける、かけたくないから自分の口からは語れない等)から自供しない例が多々あり、検察官として大変な苦労がある。ましてや、録画される等があれば、尚更被疑者の態度が頑なになることが予想され、現実的ではないと思われるとの私見を述べられました。

また、当然のことながら逮捕状請求に関して「客観的事実に基づいた犯罪の立証」を極めて厳格に運用している実態についても、実例を基に種々説明されました。

余談ですが、テレビ番組の「ヒーロー」について、

・検察官全員が建物の真ん中の談笑エリアで色々と議論する場面があるが、極めてよい工夫だと思うとのこと。(実際に談話ルームを設けたことがあるが、使用する人がなく試みは失敗した・・・)

・主演のキムタクのようなジーパンをはいた検察官はいないとのこと

なるほどと納得させられる「いい話」を沢山聞かせて頂きました川端氏に感謝申し上げるとともに、仲介の労をとって頂いた小野運営委員長にも御礼申し上げます。

(文責、武田之通)

出席者合計23名



4月定例会

日時 :

2015年4月21日(火)19時より

場所 : 大阪凌霜クラブメインホール
講師 :

 前田耕司 氏

スポーツビズ関西支局長 元プロ野球選手

燕題 : 「野球人生 あれこれ」

今回は、元プロ野球選手、前田耕司氏をお呼びして、講演会を開催しました。 プロ野球としては成功しなかったが、下を向くことなく、たくましい人生を笑いを交えながら語って頂きました。

・広島県佐伯郡五日町出身。広島カープの名選手山本浩二と同じ小・中学校を卒業。福井高校に野球留学し、1982年ドラフト2位で阪神タイガースに入団。

・入団時、145kmを投げる注目のピッチャーと書かれた。マスコミは2倍にも3倍にも大げさに発表する。ブルペンで力が入り過ぎた。騒がれたが入団時は二軍暮らし。

・上田次郎が恩師とも言うべきか。マンツーマンでピッチャーとしての指導をして頂いた。

・ プロ2年目の9月20日初登板を果たすも、5回投げたが勝ち投手の権利をもらったが、最後に同点に追いつかれ、「初登板・初先発・初勝利」にはならなかった。始めて山本浩二先輩に対した時は、「三振」にしたが、やはり郷里の先輩、山本さんに敬意を表し、思わず帽子をとって挨拶した。あとで、掛布さんに「挨拶することはないやろうー」と言われた。

・ 数々の球団を変わり、9人の監督に仕えた。阪神は安藤・吉田監督、西武は森監督、広島は山本・三村監督、オリックスは仰木・石毛・レオン・伊原監督。9人それぞれ9通りのやり方があった。

・ この間、優勝は8回、選手としては恵まれずとも、勝ち運に恵まれた。

・ 人との接点で大切にした。かわらない1人はイチローだ。オリックスの納会の時に、イチローから「左投げのバッティング・ピッチャーがいないので、お願いしたい」とのこと、以後オリックス在籍時はイチローのお相手をした。大リーグで活躍している時もかわらず呼び出された。

・ 各都道府県たくさんの方と交流があり、年賀状のやりとりは5000通になる。人とのつながりを大切にしたいというのが信条である。

・ オリックスをやめて、今はサラリーマンをしている。スポーツビズという会社だ。かかえているスポーツ文化人は、萩原健司、岩崎恭子、中田久美他、矢野燿大等。現役アスリートは、木村沙織、太田雄貴等々。

・ 入社して5年間の東京勤務の後、支局長として関西で活躍している。

 

出席者合計19名

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